小宮山芽生のストーリー⑤お産がもたらした変化

小宮山芽生のストーリー

前回までのストーリー④はこちらから

家族から猛反対を受けました

出産は福岡に里帰りし、助産師さんに取り上げてもらいました。

どうしてそうしたかというと、病院での検診のたびに「分娩台でのお産」にいつも抵抗を感じていたからです。分娩台での姿勢を始め、嫌な気持ちになるのです。

病院勤務時代の経験でも「患者さんのことをもっと見てあげたい!

けれど時間的制約があり「十分に見れていないのではないか?」という葛藤がありました。

そのせいか病院での出産は機械的な関わりなんだろうな、と思い込んでいたし、実際受診の際もそういう態度が垣間見れました。

そこに勤務している看護師さんや助産師さんたちが悪いわけではなく、病院経営はそういう流れじゃないと回らないのです。

だからか私にとっては助産院というスタイルの方が相談しやすく、落ち着けるだろうと思え、助産院のお産を選びました。

ただ、今のお産事情でいうと99%が病院出産。

実家の母と祖母にも「病院は安全だから」と猛反対されました。

ちなみに祖母の時代は自宅出産、お産婆さんの立ち合い出産が主流であったにも関わらず!

どうしてそんなに反対されるのかが私には分からず、こちらもムキになるという悪循環でしたm(_ _)m

祖母と話をしていくうちに祖母には長男を産んだことがあったと分りました。

母(長女)を産む前に長男を妊娠し、長男の嫁として男子を授かれてよかった!と思っていたのでしょう。

しかし残念なことに、産まれようとしているところお産婆さんを待つ間に息を引き取ってしまったそうです。

その後、3姉妹を祖母は育てたわけですが、長男の死産のことは封印していたようです。

その時の無念な想いが私のお産を反対する最大の理由と分かった時、ただただ反対していたのは私のことを心配してのことだったと分かりました。

反対されている時は、私の存在価値すら反対されているようで、辛かったのですが、理由がわかるとありがたい気持ちに変わっていきました。

お産への決意

万が一のことは、昔だって今だって変わらない。10%の確率でリスクがあるということ。

「どんなに大丈夫と思っていても、何が起こるかわからないのがお産です。」と説明を受けました。

どこで産んでも10%のリスクがある!とも言われました。

その言葉で、ならば「自分で産む!」という覚悟ができました。

自分のお産スタイルは自分で決めよう!

祖母の時とは違い、「選べる」のだから。

良い面だけではなく、リスクも知って選ぶ!と決めました。

最後は母が理解してくれました。

「あなたがその(実家出産)方法を選ぶなら、協力するしかない」

母が祖母を説得、言いふせた?という流れでしたけれどね(笑)

テコでも動かない私にお手上げ状態という状態だったかもしれません^^

ですが、このお産を選べた経験から「自分で決めると後悔がない。人のせいにしない」ということを学べました。

実家で長女を産みました

結果、長女は丸1日がかりで、微弱陣痛を繰り返しながら産まれてきたました。 

私にとっても不思議なことだったのが、首に3重に巻き付いた臍の緒を少しづつ、もぞもぞと動きながら赤ちゃん(娘)自身でほどき、自分の力で出てきたのです。

ただひたすら赤ちゃんの生まれる力に寄り添いながら、痛みを味わいながらも、娘が出たときには、爽快感を味わいました。

さらに娘の顔を見た途端、「お腹の中にいた正体はあなただったのね!やっと会えたね!」そんな気持ちでした。

助産師さんの処置が終わると、家族みんなから祝福を受けました。

祖母も満面の笑み。

以前産婦人科医師の池川明先生が講演会の中で言われていました。

「お産は3世代の母達の気持ちを昇華してくれる」と。

祖母からすると私1人のわがままと思われていたことでしょう。

でも蓋を開けてみると、母、祖母のお産に関わるトラウマが昇華されたのです。

長女も元気で、私も出血量はありましたが、助産師さんのケアで落ち着き、無事にお産をすることが出来ました。

赤ちゃんのタイミングに合わせ、自然の流れに身をまかせることが出来ました。

お産が自然なら、子育ても自然な流れで進むのだろうと勝手に思ってました…

次回に続く

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