小宮山芽生のストーリー⑥思い描いていた育児と現実の違い

小宮山芽生のストーリー

前回のストーリー⑤はこちら

東京での育児生活のスタート

新生児を抱っこするのも、わが子が初めて。

育児の仕方も右往左往しながら2ヶ月間実家滞在後、東京に戻りました。

それまでは大家族にやってきた赤ちゃんの娘が可愛くていつも誰かに抱っこされていました。

東京のお家に帰宅してからは、私と旦那さんだけ。

それまで娘が泣くと実家の家族の誰かが抱っこしてくれていたのが、家事も育児も1人でするしかない。

実家から自宅に戻った日は、旦那さんに会えた嬉しい気持ちよりも不安と心配で憂鬱でした。 

送ってきてくれた両親とそのまま実家に戻りたい気持ちでした。

育児に悩む日々

妊娠中は漠然な不安でいっぱいだったところから、産後は赤ちゃんのお世話と家事で1日が終わる。

気づけば誰とも話してなーいってこともありました。

社会との接点が少なくなっていくことを妊娠中から感じてはいたけれど、出産を機に仕事を辞めると本当に遮断状態。

赤ちゃんのお世話もままならず、これまでの生活すらこなせない。

「1日何してたの?」と夫からは言われ、また凹む。

夜泣きが始まると、「何をしたら寝てくれるの??」状態、抱っこしないと寝ないし、置いたら泣くの連続。

夜マンションの前をスリング抱っこで歩いてみたり、ドライブだってしてみました。

腱鞘炎にはなるし、添い乳で寝かせて腰が痛くなるし、寝不足で体はフラフラ、思考はグラグラ、でも育児や家事はしないといけない。

長女は離乳食を食べないけれど、元気。どこに行っても最後は癇癪で泣いて終わる状態。

私自身は体を張って頑張っているのに、泣き止まない。

泣かれることに対してイライラ、正直夜がやってくるのが辛かった。

もうこれでは耐えられないと、娘が寝ている隙を見計って夜の喫茶店に走ったこともありました。

泣き止まない娘に苛立ち、どうにもこうにもムシャクシャして、お布団に上から落としたこともあります。

落とした瞬間、娘は一瞬泣き止んで何が起こったのか把握していない表情をしました。

直後、はっと我に戻りました。

そして、ひどく後悔しました。

親の私の一瞬の感情で無防備な娘は抵抗できないのに、「何をやっているんだ!?私。」

娘の想定外の妊娠で仕事もプライベートも思い通りではなく、大きく変わったけれど、いつかは妊娠も子育てをしたいと願っていたのは私なのに、、、

自分がしたことに怖くなりました…

虐待、それはどの人にも起こり得ると思えました。

暗闇のトンネルを抜け出す

「いいお母さんになろう」

世間一般のお母さんと自分を比べて頑張っていたんですね。

そもそも世間のお母さんの定義だって様々なのに、自分の理想とする母親像を勝手に想像して、それになれない自分は母親失格と思っていました。

娘のことを分かりたいと思う反面、どうしたらいいの?状態、そこで学びを始めることになりました。

結果、知育面ではベビーマッサージ、ベビーサイン、シュタイナー教育、自然育児、胎内記憶、パステルアート。

身体面ではバランスボールエクササイズ、野口整体、カイロプラクティック、筋肉反射、アロマタッチケア。

食では穀菜食やマクロビ、重ね煮。

メンタル面では心理学、勇気づけ、個性心理学、コーチング、美徳の言葉、カラーセラピー、リーディング、レイキヒーリング(気功の1種)、過去生、誕生学。

この16年間でトータルで投じた額は600万円を軽く超えました。

娘との関係性をどうにかしたい、子供のことを理解したい、藁にもすがる思いと学ぶことの面白さにはまり、いろいろな分野に手を出しました。

そこで学んだことは「女性が元気で、幸せであることが、子どもに影響する」ということでした!

続く

タイトルとURLをコピーしました